武豊

武 豊 (たけ ゆたか、1969年(昭和44年)3月15日[1] – )は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手であり、現在、JRA歴代最多勝記録および歴代最多騎乗数記録保持者だ。

 

曽祖父の彦七は函館大経の弟子で、祖父芳彦は馬主協会元会長、現役騎手邦彦、の三男として生まれた。京都府で生まれるものの、すぐ現在の栗東市へ引っ越す事となる。なお、四男の幸四郎もJRA所属の騎手(1999年3月~2017年2月)・調教師(2017年3月~)である。

武豊はそんな環境から当然の様に10歳の頃から乗馬を始める。栗東市立金勝小学校・栗東市立栗東中学校を経て1984年(昭和59年)JRA競馬学校へ入学。同級生には、調教師の池江泰寿もいた。

1987年(昭和62年)2月17日、競馬学校を卒業。 栗東の武田作十郎厩舎所属となり念願の騎手デビューを果たした。1987年(昭和62年)3月1日阪神4レースにアグネスディクターで初騎乗。同3月7日、阪神3レースでダイナビショップに騎乗し初勝利を収める。1988年(昭和63年)菊花賞をスーパークリークで制しG1初勝利。

2010年 (平成22年) 4月12日に日本騎手クラブの東西役員総会で柴田善臣の後任として会長に選出、同年9月に会長へ就任したのだった。

ダービージョッキーとして

3歳馬の競争において頂点の競走として位置付けられている東京優駿(日本ダービー)では、5勝を挙げており、これは歴代最多だった。

初めての東京優駿(日本ダービー)騎乗は1988年(昭和63年)のコスモアンバー(16着)。以後、1989年にタニノジュリアス(10着)、1990年にハクタイセイ(5着)、1991年にシンホリスキー(19着)、1993年にナリタタイシン(3着)、1994年にフジノマッケンオー(4着)、1995年にオースミベスト(8着)、1996年にダンスインザダーク(2着)、1997年にランニングゲイル(5着)。デビューから実に9回の挑戦を繰り返すも勝利を記録することはできなかった。勝利を逃し続けるうちに、周囲では「武豊はダービーだけは勝てない」というジンクスが形成されるまでに至ってしま田った。武自身は感情に流されずコントロールするのもプロフェッショナルとして必要な素養であると考えていたため、表面上は何気ない風に装ってはいたが、内心では「余計なお世話」と歯噛みするような思いであったと明かしている。

1998年(平成10年)のスペシャルウィークで東京優駿(日本ダービー)を初めて勝利。17万人の観衆によって埋め尽くされた東京競馬場では「ユタカ」コールが沸き起こり、何度もガッツポーズした。武自身は後でビデオを見た時に恥ずかしくなったと語っている。武はこの瞬間を「それまでの人生で、最大、最高の瞬間」と振り返る。

その後も1999年のアドマイヤベガ、2002年のタニノギムレット、2005年のディープインパクト、2013年のキズナで東京優駿(日本ダービー)を優勝、通算5回の優勝歴がある。なお、ディープインパクトとキズナは親子であり、親子ともに騎乗して東京優駿(日本ダービー)を優勝した騎手は武のみであった。

 

 

 

※個人の調査による結果を元に記事にしています。該当団体及び、それに関連する企業及び事業所ほかとは一切関係ありません。
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